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WOOL-BLANKET

メンタルを整えたい人が書くブログ

twitterやってます、貧困もやってます

てつこ

 

わたくし、Twitterもやっております。よろしくね。

twitter.com

 

プロフィール通り、そのままの生活を送っております。

追加情報としましては、

貧困連鎖下に置かれていて

言うまでもなく現在も貧困です。

親の職種が低収入であったこと、それと

母が

金銭管理ができない人だった、というのが

大まかな素因だと私は考えています。

 

「価値観」、という言葉がありますが

人やもの、それこそ

お金なんかの価値の基準を示しているもので、

例えば資産数千億の人と

私では、その基準がそもそも違う。

「価値観の違いで疎遠になる、お別れする」というのは

簡単に言うとそういうことなんだろうな、と思う。

 

子どもの貧困連鎖 (新潮文庫)

そして、価値観の近い者同士が

友人になったり

恋愛をしたりするので、

(互いにその方が気持ち的にラク、というのも多分にあるとは思うけど)

貧困が次の世代に連鎖していく可能性が上がる。

…という予測が私の中にあります。

 

私は東京の東部、下町出身だったので

わりとそういう層が集まってもくるし

暮らしてもいるし、という地域で幼少期を過ごしました。

(家賃も物価も安いから暮らしやすいのは確かなのよね)

 

「人」が悪いわけでは決してないのですが、

そこに在る環境をみんなが受け入れているというよりは

「諦めていた」し、

「こんな自分は…」と自己否定心を強く持っている印象が強く、

そうなると被害者意識も強くて

いつも他人と揉めている、そういう人が多かったように思います。

 

平屋の長屋みたいな借間で、

間取りも狭い。

勉強机など買ってもらえるわけもなく

(そもそも置く場所がない…)

両親は中卒で勉強をあまりしてこなかった人たちなので

教えてもらえることはないし、

塾に行くお金もない。

どうにかしてあげたいと思ってくれていたのかもしれないけれど、

できなかったんだと思う。

 

書道とそろばんをやっていた時期もありましたが、

それは月謝が払える範囲だったからであって

学習塾の月謝が、私が学生をやっていた頃は高かった。

書道+そろばん塾の月謝よりも高かったので

通えるわけがなく…。

 

小中と公立で、

高校は私立の低偏差値高校へ。

お金がないので、

奨学金という名の貸付制度を使った。

働くようになったら自分で返せよ、というシステムのアレ。

高校に入れないと思っていただけに

高校生になれたことが嬉しくて…低偏差値と分かってはいるけれど、

せめてこの学校でやる範囲だけはできるようになろう、と頑張った分だけは

成績に反映している状況ではありました。

「その高校の中では」上位でした。

 

貧困と書きはしましたが、

ちょうど私が専門学校へ行きたいな…と思っていた当時限定で

私のおうちにバブルが到来いたしましてw、

その時だけ学費を出してもらえたのでした。

バブルだけに長くは続かなかったけど…。

長屋から引っ越せたのも、この時期です。

でもやっぱり賃貸物件。

家を買うこともできたのでしょうが、

親はそれをしませんでしたね…

 

そうして就職して、

私は昼も夜もない映像関連の職種に就いたことで

心身をガッツリ病みまして、

それ以降、体力知力が継続できない状態になってしまい

フリーターのような生活を続けています。

月金フルタイムの事務だけどパート、みたいな。

「社員より働いてくれるありがとう」と

お客さんに褒められるようなことがあっても、

非正規は正規よりも立場が弱い。

どんなに使えない正社員がいたとしても

それは会社の大きな渦に巻かれて曖昧に流されて「よし」とされていく。

 

現在は、

正社員のような契約条件では働けない体と心になってしまいました。

 

もちろん

こういう状況をつくりだしたのは自分で、

改善できる能力がないのも自分で、

貧困のせいだとは思っていません。

…厳密には、思っていませんでした。

 

でも、どう工夫しても

いくら動いても…変わってくれない範疇があった。

例えば…収入じたいがある水準を超えてくれないと

自分がどんなに火の車な家計を頑張ってやりくりしても

手が打てない、どうしようもないこともある。

 

…という「変わってくれない範疇」こそが

貧困連鎖につながっていく、のかなと思う。

 

自分の中で

腑落ちさせることのできない何か、というか

工夫しようにも頭の回らない部分、というか。

 

もっとゲスい言い方をすると、

私がお金持ちの家の娘なら

どうにかできそうな知力を持てたのかもしれないし、

貧困だからこそ解ることのできない知力不足、がそこにある。

 

ようはお金がないと

勉強できない、

頭使わない、

工夫の範囲が狭まる、

よって生活が困難になっていく、

 

…みたいなことが起こる。

実際自分にも起きているし

友人知人でもそういう人がちらほらいる。

 

知力の足りない者同士で

足を引っ張り合ったり、とか普通にありますもんね。

優劣の差をつけて

人によってまったく違う対応をする人なんかも、たぶん

知力や含蓄力(?)の低さゆえのことなのかな、

と思うこともあるし。

 

基本的に、人は人であって

人でしかない、と私は思っていて。

 

確かにお金のあるなしが

暮らしやすさに直結することは事実だけれど、

それと「人であること」は別の話で。

 

人である以上、どの人にも生きる権利はある。

権利上は平等だ。

 

ちょっと人と違うから、

少数派だから、

平家派だから、

I島派だから、

仕事していないから、

収入が自分より少ないから、

…などという理由で

他者を迫害する行為は本来あってはならない。

(不適切な表記がありましたことをお詫び申し上げます)

 

自分の立場が上だと言いたいのなら、それは思い上がりにすぎない。勘違い。

ちっさい丸を書いたその中で調子に乗ってるだけだよねそれって。

 

もちろん、

ルールを故意に守らないとか

他者を攻撃してくるとか、そういうことなら

自分の身を守る防衛のための行動は必要だけど、

防衛と迫害は違う。

 

もし…そういう理由で迫害されて

哀しい思いをしている人がいたら、私は…。

 

勘違いしている人、

勘違いすることで己の優越を満たしたい人、

そんなことで安心できちゃうような

猫の額よりも小さな世界でしか生きていない人、

…に、あなたの良さや魅力を知ってもらう必要などないし

世界はそのような人ばかりではないし、

もしまだ出会っていないのなら

これから出会えるからね、と言いたい。

 

自分の人生を主軸に置いて考えていくと、

どんどんそういう

「ちっさい人」は淘汰されていくように感じています。

これが他者主体の生き方だったり

人に依存して生きていたりすると、ちょっと変わってくるとは思うけど。

 

ちっさいところ、は

実は弱さの一部だったりもするので、

理想を言うのであれば…それを赦せると自分が楽なんだろうな、と

私は思っていたりします。

すんげー難しいけど。

全然赦せたためしがないけれど(笑)。

 

このような調子で

いつでもどこでもひねくれた見方で

貧困だったり

自分の生い立ちだったりを勝手な主観で分析して、

こうしてアウトプットするのが趣味という

特異な性質を持つ筆者ではございますが、

これからも懲りずに

思いの丈を投げつける書き記していきたいと思っております。

 

お読みいただき、ありがとうございました。

またよろしくお願いします。

 

人生に幸せ連鎖が起こる! ネガポジ 変換ノート