WOOL-BLANKET blog

メンタルを整えたい人が書くブログ

学校に行きたくない、と思っていた当事者の後悔

 

こんにちは。ぼんぼやてつこです。

 

この時期になると、毎年思い出します。毎年。

 

「学校に行きたくない」という感情を抱えて

とても嫌な気持ち、

落ち込んだ気持ちになっていた自分のことを。

 

withnews.jp

 

 

 

私は学校で加害されていた

 

学校に行きたくない君へ

 

私は基本的に「いじめられっ子」で、

幼稚園の頃から

何かといじめられたり、からかわれたりしていました。

幼稚園も、小学校も

そして中学校も。

他のクラスメイトよりも

出席日数が常に少ない人間だった。

 

ちなみに、

幼稚園や学校へ行きたくない時期は

必ず体調がよくなかった。

体と心と、どちらが先行だったのか分からないけれど。 

他の人からの加害と同時に

体調不良が私を襲った。

 

いじめではないかもしれないけれど、加害は加害

 

私の場合、

ボコられるとかパシリにされるとか、

そういう

絵に描いたような「いじめ」を

あからさまに受けたわけではなかったのですが、

特に中学生の頃がひどかったというか

えらく傷ついたと感じることが多かった。

 

中学以降のいじめを

具体的に簡潔に書くと

  • 小学校からの友人が中学に入ってから友人ではなくなった
    (他の部員に私の孤立を促し集団での無視)
  • 部活内で、ボールを私に回さない等の嫌がらせ
    (バスケ部でした当時)
  • 私の名前を含んだ悪口を、聞こえるように発言する
  • 近付くと笑いながら逃げていく
  • 肩でぶつかってきて私を突き飛ばしつつ逃げる

 

…とか、そういう感じでしょうか。

細かく書くと

私自身、まだ向き合いきれていなくて

具合がわるくなってしまうので

この辺りにしておこうと思います…。

 

担任がクズでした

 

中学の頃の担任教師が若い男性教諭で、

生徒の将来よりも

体裁、

職員室での評価、

そういうものを重視していた。

 

成績の良い人間には最上級の愛想の良さで接し、

私のような底辺層の生徒には

なるべく近付かないように、

距離を置いて接していた。

可愛い女子生徒にもいい顔をしていた記憶がある。

 

私は

行けたり行けなかったり、

週に3日ほど

何とか登校するタイプの不登校だった。

 

母が妙に世間体を気にする人間で、

私が「いじめられた、行きたくない」と

理由を述べているにもかかわらず

「いじめられる方に原因がある」

「お前が悪い」

と常に言い続け、

朝は毎日

玄関先に通学カバンを放り投げられ追い出された。

 

学校や関係機関への相談は一切せず、

「腹痛で休む」という理由ひとつで

何とかコトを収束させようとしていた。

 

最終的に、

私が分かりやすい狂い方をしたので

ようやくヤバいと思ったらしく

学校に電話して電話口に出た教師に本当のことを伝えた。

(担任は人づてに知ったらしい)

 

たぶん、担任も母も同じタイプで

「臭いものにはフタをしてなかったことにする」

「自分にとって害悪なものは視界に入れない」

「喉元過ぎて何とかなってくれないかな」

…とか、

そういう特性を持つ人間だったのだろうなと思う。

 

 

こんなに毎日やらかしてます。トリプル発達障害漫画がゆく

 

私から担任には

いじめを訴える気すら起きなかった。

たぶん何も変わらない、と分かっていた。

 

でも、後悔をしている。

他にも方法はあったかもしれないのだから。

あきらめてしまった私の負けだった。

勝てばいいってものでもないけれど。

 

結果

 

ここからのことを書くと

ものすごい文字数になるので、

時系列でさくっと書いていこうと思う。

 

母、学校に娘のいじめ被害をカムアウト

 

→担任、女子だけを放課後集める

 

→担任からの指示で同級生(女子)から電話

 

→詳細を聞かれる

 

→電話口の同級生から

「私たち、そんなつもりないから」というナゾの返し

(電話口のおまえはいじめに加担してないからそりゃそうだ)

 

→数ヶ月後、同級生の女子ほぼ全員から年賀状が届く

(おそらく担任の指示)

 

余談ですが、

いじめ加害者の年賀状の内容を公開しますね。

 

「ネクラ(今でいうコミュ障みたいな)はダメだよ!」

「もっと明るくね!」

「自分から仲良くしないとダメだよ!」

 

…以上です。

 

まあ殺意わきましたよね(笑)。

 

 

その後、学年が変わり

3年生になるわけですが…。

 

どうやら、その際

件の担任が

とある女子生徒(友人)に

私の監視世話役を頼んでいた。のだそう。

 

その友人から聞いたわけではないけれど、

後々思い起こしてみると、色々と合点の行く出来事があった。

他の人が話していた噂話で知った。

 

あの子は家庭で色々あって情緒不安定なのに

それも知らずに何てことを頼んだんだよオッサンは…

 

…というのが本音だったし、

その友人にも迷惑をかけてしまった。

本当に申し訳ないことをしてしまった。と今でも思う。

 

担任は自分の言葉で何とかせず、

生徒を利用してどうにかしようとした。

女子生徒に電話をかけさせ、

ハガキ代を出させ年賀状を書かせ(しかも女子だけ)、

友人にてつこのお守りを頼んだわけです。

 

 

この担任の「善意の勘違い」があったことで、

 「善意は加害にもなり得る」と知った。

 

 

そんな私ではありますが何とかいきています

 

私は、低所得の家庭に生まれ育ったことや

「別の道」の選択肢がないに等しかったこともあり

現状のまま、今の中学に通いながら

何とかしていくしかなかった。

 

結局は 

 

…という、

もはや運でしかないようなタイミングで

私は中学校という場所、

迫害してくる同級生から逃れることができた。

 「学校が変わること」は、

ギャンブルみたいなもんだけど

淀んでいた自分に風穴が開くような感覚は得やすいと思う。

 どちらにせよ、変化のチャンスではある。

 

 

 

経験上、感じたのは

「アテにならない大人と関わるのは時間のムダ」

ということです。

 

私は周囲が

アテにならない大人ばかりだったので、

随分と時間を無駄にしてしまったと感じている。

その間に一気に時が流れて行ってしまった。

最善を、尽くせなかった。 

 

 

ただ、アテにならない大人だけではなくて

アテになる大人もどこかに必ずいるんです。

それも体験して分かったことです。

 

元気のなくなっている時に

元気な時のようになど振る舞わなくていい。

強くなろうとしなくてもいい。

いじめた相手を許す必要なんてない。

 

大人になると分かるけど、

もっともらしいことを言ってるようで

矛盾していたり、筋の通らないことを言い出す人も多い。

そういうおかしい人よりも

被害者の心で鳴っている警報のほうが確かだ。

大人の言うこと=正しい、

というのは絶対にない

 

確かに大人も間違うことはある。

私の母と、担任のやり方は

私にとって「間違い」だったように。

今思い返しても

あれじゃ余計に子供は学校行かなくなるね…(笑)。

 

 

 頼るのはよくない、とか

自分で何とかしろ、とか

そう言ってくる人も必ず出てくる。

でも、

成長途中の10代という存在に

「頼るな」「自分でやれ」はあまりにも酷だ。

これから大人になるにつれて知ってはいくだろうけど、

「今は知らない」のだから

頼るのは当然のことで、

大人も「頼られる」ことは想定しておいたほうがいい。

 

 もし、大人に頼った時に

理由もなく否定されたり、頭ごなしに断られた時は

「こいつ面倒なだけだな」と思ってもらっていい。

ハズレを引いただけ、くらいの気持ちでいてもらっていい。

 

大人も色々事情があって、

今は自分の困りごとで手一杯ということもある。

だから

大人に頼ったら100%思い通りになる、

とはいかないかもしれないけれど

相手の理由があって頼りにできなかったそういう時は、

他の大人を探してみて欲しい。

 

それができたら苦労しない、という声もあるのだと思う。

しかも

私の場合は運のよさで他の大人が登場したから、偉そうなことは言えない。

担任が丸投げしたことが、ある意味正解だった。

 

ただ私は

相当回り道をした末に運の良さ炸裂だったのでw、

もっと早く

他の大人を探せばよかったという後悔がある。

それを、ここに書いておきたかった。

 

 

学校に行きたくなかった私から、昔の私へ

 

ということで

wool-blanket.hatenablog.com

、というブログを

別に書いてみました。

興味がある方は、よかったら。ぜひぜひ。

あまりにも長くなってしまったので

二部構成(?)にしてみました…。

 

 

 

当時は本当に「ここは地獄」だと思って

過ごしていました。

 

だから、簡単に

「あと数年我慢しろ」とか

「そんな人もいるから気にするな」とか、

そういうことは言いたくない。

つらい、という気持ちは誰にも分らないのだから。

 

近い経験をした私ですら、

思いをくみ取ることはできるけれど

完全に理解できるかというと、むずかしい。

私にとっては平気なことも、

他の誰かにとってはしにたいほど苦痛なのかもしれないし。

簡単に分かったような顔をするべきではない、と思っている。

 

ただ、私が体験した

「つらい」「しにたい」「くるしい」が、

何かの形で誰かのヒントになったらいいな、などと

おこがましいことを考えていたりするので

この記事を書かせてもらいました。

 

相変わらずの長文おばさんが炸裂してしまいましたが、

お読みいただきありがとうございました。